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話題のドラマ 西郷さんゆかりの地追っかけ隊!

ヤモリと言われた男

クセの強い岩倉具視登場!

川口雪篷の墓

ど~も! りゅうちぇるです!

 

第30話では、ついに岩倉具視が登場しました。
岩倉のキャラが強すぎて、主人公の西郷さんより目立っていた回でした!笑

 

岩倉具視は昔、孝明天皇の側近として活躍していた人物で、天皇の娘を将軍家に嫁がせて、公武合体を進めた実績を持つ人物です。しかし、政治争いに負けて京のはずれのボロい家で蟄居をしていました。

そんな時、西郷さんが岩倉の書いた手紙を読み、同じ倒幕という考えがあることを知ります。
そこで、岩倉に協力を依頼するために大久保さんの紹介で会うことが出来ますが、まぁ~岩倉のキャラが強すぎる!笑

ボロボロの着物を着て、何かあるとすぐに金をせびり、挙げ句の果てには賭博場まで開いて金を稼ぐ生活をしていました。
いくら、蟄居していたとはいえ公家なので、実際にあそこまで貧しい生活を送っていたんですかね?
しかも、バリバリの関西弁!
たしかに岩倉は、京都出身ですがあそこまで訛っていたんですかね?笑
でも、面白かったので良しとしますかね!

 

今回のお話では、久しぶりに桂小五郎が登場しました!
最後に西郷さんと会ったのは、禁門の変の前だったので久々の再会は中々気まずい感じでした。
桂さんからしてみたら、戦を起こさないために西郷さんと約束していたのに、結局戦になってしまい挙げ句の果てには、薩摩は敵となって仲間達が大勢殺されたとなると、相当悔しかったし腹も立っていたと思います。
そのせいで、危うく大久保さんと桂さんが斬り合いになりそうでしたし・・・ちなみに桂さんは、神道無念流という有名な流派の剣豪だったので、あのまま斬り合いになってたら大久保さん負けてたんだろうなー笑
大久保さんは、剣術というよりも学問でのし上がった人だからな~。

そんな一触即発の展開も岩倉のおかげでひとまず収まり、西郷さんは岩倉から「お庭方」を命じられます。
久しぶりに、お庭方というフレーズを聞きました! 斉彬以来2度目ですね。
その日以降、西郷さんは岩倉の身の回りの事をしますが、掃除中に「倒幕」への手紙を西郷さんは見つけます。それを読み感動した西郷さんは、倒幕に向けて本格的に動き出そうと説得するも、そんなのは無理といじける岩倉。


そこで、西郷さんは薩摩藩士と、岩倉の息子の周丸(かねまる)を連れて再度訪問します。
すると、息子の周丸から、謹慎の命が解かれた事を知り、天皇が岩倉の事を案じているという事を聞かされます。
その瞬間、さっきまで無理だといじけていた岩倉が突然やる気満々に!笑

この岩倉との運命的な出会いが西郷さんの心をいよいよ「倒幕」へと進めていきます!

 

さぁ、今回紹介する場所は、川口雪篷の墓です。

お墓は、鹿児島市坂元町にある坂元墓地内にあります。

物語の中では、ただの大酒飲みのイメージが強いですが、経歴を調べてみると意外とすごい人ということが分かりました!

江戸の薩摩藩邸で勤めていた薩摩藩士の、川口仲左衛門の四男として生まれ1819年に種子島西之表村納曾(のうそ)に誕生しました。江戸では、漢詩や陽明学を学び、書家としても活躍していました。

しかし、父の不始末によりお役御免となって鹿児島に帰ることになると、連座して雪篷も沖永良部に遠島処分を受けてしまいます。

遠島処分には、いくつかの諸説があり、家族の罪の連帯責任を取らされた説や、島出身の者なのに、島津久光の書生として重用されたのを妬まれて陥れられたともされます。

一般的には、藩の書物を質屋に入れてお金を得て、焼酎を買って飲んでいたことが分かり、処分を受けたというのが通説になっています。

沖永良部では、西郷さんの牢屋に訪ねて、書や詩作を教えていたそうです。

また、薩摩に戻ってからは、西郷家に住むようになり、西郷家に訪ねてきた客人の対応や書状預かりなど、留守居役のような役割を担っていたようです。

そして、西郷さんの子供達にも書や漢学を教え、西郷さんが私学校を開いた時は、教師としても活躍しました。

南洲墓地にある西郷さんの墓標の文字は、雪篷の筆だそうです!

物語では、だらしのない酒好きおじさんみたいなイメージが強いですけど、経歴を調べてみるとさまざまな学問に精通していて、晩年は西郷家を支える重要な人物だった事が分かりました!

何よりも、私自身が種子島出身なので、雪篷が種子島出身と知った時はちょっとテンションが上がりました!笑

 

鹿児島市:川口雪篷の墓

 

 

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